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2009(平成21)年度手話通訳者全国統一試験「手話の要約試験 解答例」

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2009(平成21)年度手話通訳者全国統一試験「手話の要約試験 解答例」

(1) 私の仕事は美容師である。35年になる。きっかけは美容院に通う母を見て、自分が髪をセットしてあげたいと思ったことだ。中1の時に決心し、父の反対をおしきって美容の専門コースのあるろう学校に入学し、国家試験にも合格した。その後父に「聞こえる世界にもとびこめ」と言われ、東京の山野愛子専門学校に入学。仲間にノートを貸してもらい勉強していると、先生からみんなの10倍がんばっていると紹介された。仲間のノートもそれぞれまとめ方が工夫されて参考になった。卒業後、地元に帰り美容師として働きはじめ、母の髪のセットもまかされた。結婚し、独立。妊娠・出産・子育ての時期があったが、お客さんに協力してもらった。今の自分は両親の厳しい教えとお客さんの協力によるものだ。

(2) 私は美容院をやって35年目です。この仕事についたのは、母が旅館の女将でいつも髪を結いに行くのに私を連れて行ったことがきっかけでした。いつか私か母の髪を結ってあげたいと思い続け、父の反対を押し切り美容専門学校に入り技術を身に付け、国家試験にも合格しました。厳しい父に、東京に行って社会に飛び込みもっと勉強するように言われ、山野愛子美容学校に入学しました。校長は私を皆の前にモデルとして座らせ「聞こえないから皆の何倍も努力した」と言ってくれました。学校で皆のノートのとり方などとても勉強になりました。卒業後佐賀に戻り仕事を始めました。母の髪を結うと喜んでくれました。お客さんが子どものお守りをしてくれるなど周囲の協力と厳しい両親に感謝です。

(3) 私は美容院を開いている。35年目になる。美容師を目指したきっかけは、旅館のおかみをしていた母が毎日美容院で髪をセットしていたのを見て、自分でやってあげたいと思ったことである。中学1年に決意し、美容の専攻がある学校に入学した。卒業し、国家試験も合格したが、父に音のある世界へ飛び込めと言われ、東京の山野愛子美容専門学校に入った。自分がろう者ということでノートテイクをしてもらったり、校長には「みんなの数倍がんばっている」と大勢の前で言われたりした。昔はコピーがなかったので、健聴の友人のノートを書き写すなどして努力して卒業した。就職して初めて母の髪をセットした。また娘が泣いた時にはお客さんが交互にあやしてくれた。今の自分があるのは両親とお客さんのおかげである。

(4) 私は美容院を35年間やっている。仕事につくきっかけは、母が仕事に髪を結っていくので毎日美容院について行き、きれいにしてあげたい、技術を身に付けたいとと思い賞の時に夢を持った。父の反対を押し切り美容化のあるろう学校へ入学。訓練は厳しかったが卒業し、試験にも合格した。しかし父は東京に行って聴者の世界に飛び込んでみろと言い山野愛子美容学校に入った。200人の生徒との学習では色々なことがあったがノートの貸し借りなどで助けられとても勉強になった。佐賀に戻りやっと母の髪を結うことができ母も私もうれしかった。結婚後も母は時々訪れ、出産後はお客様が交代で子供を世話してくれた。厳しい両親とお客様のお蔭で今まで助けられたことに感謝している。

(5) 私は美容師でお店を持って35年目です。母の髪をキレイにしてあげたいと小学生から思い続け父の反対を押し切って美容の科がある聾学校へ進学した。卒業後は聞こえる世界へ飛び込めと父に言われ、東京の山野愛子美容学校へ行った。仲間に助けられ、校長にも人の10倍がんばっているとほめられた。仲間にノートをかりたが、個々で書き方が違うなど色々と勉強になった。地元へ帰り母の髪を結ってあげると娘にしてもらった髪はとてもキレイだと本当に喜んでくれて美容師になって本当に良かったと思った。店を持ち、結婚、出産したが子供は色々なお客さんが守りをしてくれた。今思えばそんなお客さんたちの助けがあったからこそやって来れたのだろうと思っている。

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