2004(平成16)年度手話通訳者全国統一試験「手話の要約試験 解答例」
(1) 私は劇が大嫌いで、バレー等のスポーツが好きだったが年をとり、運動をしなくなった。劇は、2つ上の先輩に日本舞踊が上手い方がいて、東京での公演後、その人に教わったのがきっかけだ。健聴者の歯車という劇団の人から、ろう者のいぶきという劇団に一緒に演じてみないかと誘いがあった。メンバーで台本の読み合わせをしたが、昔の侍の話で手話にしにくかったが、相談し、ろう者の表情に合わせ、健聴者が声で演じることに落ち着いた。無事公演も終え、大変感動した。ろう者の表情の豊かさや、健聴者の演じ方、位置取りなど、お互いに学びあえた。今後は、健聴者に頼るのではなく、自分たちの力で、照明や、手話での台本を作るのが私の夢だ。
(2) 私は芝居が大嫌いで、スポーツのバレーが好きだった。年齢とともにバレーにも限界があった。同窓の二年先輩の女性で日舞の上手な人が居り、若い人への指導の様子を見て、芝居を始めた。健聴者グループ歯車とろう者グループいぶきで合同上演を計画し、台本の読み合わせをしたが、昔の言葉を手話表現するのは難しく、議論を重ねた。手話に合わせて台詞を言ったり、表情でカバーし、健聴者はろう者の細かい表情に、ろう者は健聴者のはっきりした表現に感動し合った。今後の夢は、全て健聴者に頼むのではなく、自分達の力で、照明の作業をしたり、手話に合わせた芝居の台本作りなどをしていきたいと思っている。自分の力でやっていきたい。
(3) 芝居の話です。私は芝居は嫌いで、バレーボールばかりしていました。年をとってだんだんバレーが出来なくなった時、芝居を始めました。二年先輩の日舞の得意な女性が東京で芝居を習ってきて、若い人たちに教えてくれたのがきっかけです。聴者の劇団とろう劇団いぶきとで合同公演することになりました。台本を見ると古文で書いてある所が手話に表しにくく省きたかったのですが、大切な所なので皆で考えた結果そこを表情でカバーする事にしたら感動的な表現になりました。表情、表現力を双方で学び合いました。今後は、ろう者だけで、自力で照明や台本作りなどなんでもできるようになりたいです。
(4) 私はとてもスポーツが好きだったが、高齢になるとできないのでしばいをすることにした。学校の2年先輩で日本舞踊が上手な人がいたので若い仲間を集めた。健聴の劇団「歯車」とろうの「いぶき」の合同でしばいをやることになった。本は昔の言葉が多く難しかった。手話では表せないので言葉にはこだわらずにしようとすると健聴者は言葉が大切だと言うので論争になった。ろう者が表情で表現するし言葉と合ったしばいができ、感動した。健聴者はろう者の表現力を、ろう者は健聴者の動きを見てお互い勉強になった。将来は健聴者に頼らずろう者で照明をし、台本を書いてろう者にあったしばいをしたい。
(5) 私は芝居が嫌いで、バレーが好きだったが年とってできなくなるかもしれないとも思う。ところが、同じ学校の先輩で日本舞踊の上手な女性が東京で学びかえってきた。若い人達を集め指導している。そこで健聴者の劇団はぐるまができ、聴障者のグループいぶきに、一緒に劇をしないかと提案された。いぶきの人達は喜び一緒にすることになったが、脚本にある、昔の語りに手話を合わせるのは難しいと議論になった。そこで、口調に合わせて、表情をつけることや、健聴者の間のとり方やはっきりとした動きをお互いに学び合った。今後の夢は、健聴者に聞いてするだけでなく自分たちで照明から、手話にあった脚本をつくるなどしていきたいと思っている。